コーヒー村の日常Vol. 1
コーヒー村の日常Vol. 1
至極の休息がもたらす幸福

*本作品は小説家「氷浮」による有料作品です。2026年5月末までの期間限定で無料公開しています。
コーヒー村は、今日も今日とて通常運転。カップやドリッパー、パーコレーターなど様々な道具が自我を持ち、各々の生活を送っている。そんな中、久々にとあるカップがコーヒー村へと戻ってきた。―順太カップである。
順太カップは仕事柄、月単位または週単位で、西へ東への大移動を繰り返す。そのために、彼はコーヒー村に戻らないことがほとんどなのだ。だが彼は、日々仕事から趣味へと奔走し、満足感を得ることで超がつくほどに精神面での安寧は得られているようである。ただ、そんな順太カップにも最大の難点が…それは体力である。分かっていることとはいえ、自身の脳内思考スピードと想像力などに己の体がついていかないのが現状なのだった。
順太カップは、コーヒー村の自室に着くなり、ふかふかのベッドに思いっきりダイブする。ベッドには顔面から飛び込んだがために、メガネの鼻当てが眉間に食い込む。だがしかし、順太カップ自身もメガネも双方無事であった。当然、人間の姿なら無事であるはずがない。カップの姿というのは実に便利で、非常に合理的な姿なのである。順太カップが飛び込んだベッドは、人間でも使えるサイズのため、彼の体の大きさと比べると天と地ほどの差があるといえる。そのため、彼はベッドの端から端まで勢いよく転げ回る。当たり前だが、順太カップは〝コーヒーカップ〟なので、持ち手がついている。転がれば多少行動は制限されるが、そんなもの順太カップには一切関係ない。順太カップはひと通りベッドの上を転げ回ると枕へ向かい、仰向けに寝転がって天井を眺めた。
「ホテルのベッドも良いけど、ここのベッドが一番落ち着くなぁ」
順太カップは一人ベッドの上で呟いた後、ぎゅっと固く目を瞑り、体を縮こまらせると思いっきり伸びをした。すると、どこからともなく順太カップの胴体から手足がにょきっと飛び出す。まず最初に手を組み、ぐにぐにと動かした後は、ゆっくりとむにむにと揉み解し、足も同様にマッサージを行っていく。その後、再び順太カップは、大きく手足を上下に伸ばすとその体を軽く動かしていった。この一連の動作を数回と繰り返すと、順太カップは足だけを胴体にしまい込み、ベッドの布団を軽く持ち上げてその体を滑り込ませ、すよすよと心地良さそうな寝息を立て始めた。順太カップの忙しさは、日に日に増すばかり―体のストレッチをするというこのルーティンが順太カップにとっては至極の休息なのである。
順太カップが寝息を立て始めるほんの数時間前―久し振りに順太カップ部屋の電灯が点いているところを目撃したドリッパーエリコがいた。
「順太部屋の電気が点いてるなんて随分久し振りやなぁ!どれ、遊びに行ったるか!」
ドリッパーエリコは、大きな独り言を溢すと順太カップ部屋に意気揚々と向かっていく。順太カップ部屋まで辿り着いたドリッパーエリコは、勢いよく彼の部屋の扉を開けた。
「順太ー!久し振りやなー!」
ドリッパーエリコの突撃訪問に大変驚いた順太カップは、ベッドの上で勢い良く飛び上がった。
「うわぁぁぁっ!なにー⁉」
「久々に順太部屋の電気が点いてたから遊びに来たんやで!元気しとった? …というか順太、なんで手だけじゃなく足まで出てるん?」
「ああ、そうなのね…え?あっ!これは、その…」
普段の順太カップは、手だけ出していることはあっても足まで出していることはほとんどなく、まだ誰にもその姿を見られていないに等しいものだった。ドリッパーエリコの妙に冷静なツッコミに順太カップは頬だけでなく体まで赤く染めていた。
「なんやおもろいな!順太!ええやん、ええやん!そのまま出しとこ」
「面白いって…」
「あ、せや!コーヒー村の皆にも順太帰ってきたで!って声かけとくわ!順太も気ぃ向いたらカフェに顔出しや!」
ドリッパーエリコのテンションは下がることを知らず、また順太カップの反応を見ることなく、再び意気揚々と順太カップ部屋を去っていった。さすがは関西の血筋。侮れない―と思っていたかもしれない順太カップであった。
ドリッパーエリコが順太部屋を去った後、順太カップは再び手足のストレッチと伸びを行っていたが、急な睡魔に襲われ、そのまま布団に潜ってしまい、すぐさま寝息を立て始め、順太カップは深い睡眠へと誘われていった。そのわずか数十分後、またしてもドリッパーエリコが順太カップ部屋へと戻ってきた。順太カップ部屋の扉に手をかけ、〝順太ー!〟と発する前に、ドリッパーエリコが目撃したもの―それは、すよすよと心地良さそうな寝息を立てながらカップの胴体から手足を出したり引っ込めている順太カップの姿で、何とも表現し難い光景が繰り広げられていた。この光景を目の当たりにしたドリッパーエリコは唖然とし、大きく開けた順太カップ部屋の扉をわずかに閉めた。扉を完全に閉めなかったのは、ドリッパーエリコの好奇心もあったからかもしれない。ドリッパーエリコは、薄ら開いた扉の隙間から改めて順太カップの様子を窺い、そっと言葉を漏らした。
「順太…疲れとるとか無意識だとしても、そうはならんやろ。どれだけ元気なんや。夢でも見とるんやろか…何がしたいのかさっぱり分からへんわ」
冷静にツッコみを溢すものの、内心では大笑いして転げ回りたいドリッパーエリコは、すぐさま順太カップ部屋から離れると、カタカタと震えながら事の顛末をコーヒー村の住人たちに触れ回った。ドリッパーエリコから順太カップの様子を聞いたコーヒー村の住人たちは、笑いながらも順太カップを労う言葉で溢れ返っていた。
「皆で、順太癒したろ!」
ドリッパーエリコを始めとしたコーヒー村の住人たちは、順太カップを労い、労わることで一致団結し、後日順太カップに美味しいコーヒーやお菓子などがたくさん振る舞われた。順太カップは少々疑問に思いながらも、美味しいコーヒーやお菓子を嗜み、コーヒー村での休息を満喫した。束の間の休息後、数日間の日を空けて順太カップは大量の荷物を持ち、仕事のために再びコーヒー村を後にした。
「皆、行ってきます!」
「「「行ってらっしゃい、順太ー!」」」
コーヒー村の住人たちは明るい声で順太カップを送り出しましたとさ―
終
コーヒー村の日常Vol. 1 至極の休息がもたらす幸福
初版発行 2025/12/13
著者 氷浮
発行 風の書架
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